
お彼岸のお中日(春分の日、秋分の日)には太陽が真東から昇り真西に沈みます。彼岸は阿弥陀様のいらっしゃる世界を示し、この世である此岸(しがん)から彼岸(向こうの岸)にいたることを念じる機会として、お彼岸があります。真宗では、浄土への道は阿弥陀様からの呼びかけの道であるため、お中日を中心とした一週間について、仏徳(ぶっとく)を讃嘆(さんだん)する機会として、お彼岸を讃仏会(さんぶつえ)と呼んでおります。

仏教だけではなく、数多くの宗教で、太陽は崇拝のシンボルになっています。エジプトにあるアブ・シンベル神殿では、春分と秋分の日に神殿の最奥部にある神像に太陽があるように設計されています。
日本では、お彼岸のお中日に、大阪四天王寺の西門の正面に沈む夕日が知られています。他にも兵庫県浄土寺の阿弥陀堂など夕日とお寺が結びつくことがあります。これは『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』にあらわされている日想観(にっそうかん)が大きく関係しております。

『観無量寿経』は王舎城(おうしゃじょう)の悲劇を題材に阿弥陀様のお力を示した経典となっています。日想観は、此岸での出来事に苦しむ韋提希(いだいけ)が、お釈迦様に救いを求めた際に、お釈迦様が阿弥陀様のいらっしゃる悟りの境地へ至るための方法として最初に示されたものです。
沈む夕日を心に強く思い描き、一点に集中し、西の空に丸い夕日が太鼓のように浮かぶ様子を思い描くこと。このようなイメージができれば、目を閉じても開いても夕日が見えるようになる。
日想観は、悟りの境地に至る瞑想の入り口にあたります。西方は阿弥陀様のご浄土であり、まずは「夕日を見ることから始めよ」ということになります。
海や山に沈む夕日、故郷で出会う夕日、都会ではビルに乱反射する夕日。
どのような夕日にも輝きがあり、まぶしさを感じたのちに夕闇に包まれることで、帰る場所を想起させます。夕闇の中、帰る場所があることで安心したことはありませんか。まさに阿弥陀様のご浄土が帰る場所であれば、これ以上の安心はありません。
阿弥陀様からの呼びかけに気づくことができたのも、阿弥陀様に帰依されたご先祖様のおかげです。そこで、皆様、お寺に参詣いただき、お墓参りにいらっしゃいます。仏徳讃嘆の機会ですので、お墓参りに向かわれる前に、本堂の阿弥陀様にぜひご挨拶ください。
また、お中日の夕日を観て、心を安らかにできるとお彼岸の素晴らしい過ごし方になるでしょう。
合掌 妙綾